ホーム > ピックアップ!! > 清掃工場の今昔~第4回練馬清掃工場(前編)~

ここから本文です。

更新日:2016年11月7日

清掃工場の今昔~第4回練馬清掃工場(前編)~

練馬初代

昭和33年8月しゅん工した第五清掃工場(初代)

シリーズ第4回目は練馬清掃工場です。今回は前編として、初代清掃工場、2代目清掃工場について紹介します。
初代清掃工場は、東京23区内で、千歳、大崎、日暮里、蒲田の4工場に次ぐ、5番目の工場、現在の練馬清掃工場と同じ場所に第五清掃工場として、昭和33年8月、しゅん工しました。(昭和36年、石神井清掃工場に名称変更)
この第五清掃工場は、約1万5,000平方メートルの敷地に地上4階地下1階、延床面積7,597平方メートルの建物工場で、固定バッチ式の大型焼却炉6基(1炉予備)を備え、焼却能力は400t/16時間(200t/8時間の2部作業)、遠隔操作によるごみ投入扉の開閉、水分の多いごみの焼却前の乾燥、ベルトコンベヤによる焼却灰排出装置などのほか、地元には余熱利用による温水給湯サービスを提供するなど、新しい考え方をとり入れて設計された工場でした。
千歳清掃工場とともに特別区内西部方面を中心としたごみ処理を担う工場として期待されました。
しかしながら、煙突からのすすの飛散や騒音問題など、混合収集にともなうごみ質の変化に対応できず、「東京都長期計画(昭和38年2月)」に基づき、昭和40年9月に操業が停止となりました。

練馬2代目

昭和44年3月にしゅん工した石神井清掃工場(2代目)

2代目石神井清掃工場は、昭和41年6月に着工し、44年3月にしゅん工しました。総工費(主体工事)は20億6,900万円、都としては、北清掃工場に続き2番目に外国技術を導入したもので、デ・ロール式としては初めての焼却炉でした。焼却能力は600t/日(300t/日×2基)となっています。
工場棟の規模は、地上6階地下2階で、従来の工場と異なる点は、プラットホームが1階にあり、その上に管理諸室が配置され、搬入車路がなくなりました。ボイラ・発電設備の設置、騒音対策の強化、景観への配慮などにより、建物全体に同じ高さの周壁をめぐらせ、これらは、おおむね以降の工場の定型となりました。また、搬入車の洗車装置も設置され、以降、すべての工場に設置されることとなりました。運転も24時間連続となり、夜間勤務職員確保のための職員住宅も併設されました。
また、都では初めて、排熱ボイラ・タービン発電機を設け、ごみの焼却余熱を利用した発電を行うことにより、余熱利用のいっそうの向上を図りました。以降、都が建設するすべての清掃工場では、タービン発電機の設置が標準となりました。
さらに、騒音防止対策の強化として、通風機、蒸気コンデンサ等は、コンクリートと吸音材で囲みました。
昭和58年4月には、光が丘分工場開設にともない、名称を練馬清掃工場に変更しました。

後編は3代目清掃工場、現在の4代目清掃工場を紹介します。

初代清掃工場及び2代目石神井清掃工場の参考文献及び写真:「東京都清掃事業百年史」より

お問い合わせ

総務部総務課広報・人権係

〒102-0072 東京都千代田区飯田橋三丁目5番1号東京区政会館14階

電話番号:03-6238-0613

ファクス:03-6238-0620