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更新日:2016年11月7日

清掃工場の今昔~第3回多摩川清掃工場~

多摩川清掃工場(初代)

昭和37年12月にしゅん工した多摩川清掃工場(初代)

シリーズ第3回目は多摩川清掃工場です。初代の工場は昭和14年5月、都市計画事業決定により蒲田区矢口町(現在の大田区下丸子)に位置を決定し、工場用地は昭和15年に購入しました。しかし、太平洋戦争の激化に伴い、すべての都市計画事業が中断され、工事着手に至ったのは昭和32年でした。建設反対運動がありましたが住民との話し合いを続け、昭和36年に工事を再開し、昭和37年12月にしゅん工しました。
工場建設で配慮した点は、搬入道路が狭いため、多摩川堤防裏側を盛土して搬入路を整備したことです。工場の特徴として、燃焼排ガスの除じんにサイクロン(排ガスを回転させ、遠心分離で除じんする装置)とベンチュリースクラバー(ガス流路の途中を狭めてできた高速気流により水を噴射して除じんする装置)を採用しました。この特徴は、同時期にしゅん工した板橋清掃工場と同様です。煙突の高さは60メートル×2本、炉の形式はかまど式焼却炉、処理能力は200トン/8時間×2部作業の400トン/16時間でした。
建設計画当時は、厨芥(ちゅうかい、生ごみ等)と雑芥(ざっかい、紙類や木草等の可燃ごみ)を分別収集していましたが、昭和30年代中頃からは混合収集するようになりました。多摩川清掃工場は雑芥焼却を目的としていたため、ごみ質の変化などの対応が難しくなり、昭和44年4月に操業停止しました。

多摩川清掃工場(2代目)

昭和48年11月にしゅん工した多摩川清掃工場(2代目)

2代目は、昭和46年4月に工事着工し、全連続式機械炉として昭和48年11月にしゅん工しました。
建替えに伴い処理量が増えることから、前面道路の拡幅や取付道路の整備などを行いました。主な工場の特徴として、焼却灰中の鉄分を回収・貯留するため、灰コンベヤから鉄選別機、搬送コンベヤを経て金属ピットに貯留する金属回収設備を設置しました。この特徴も、同時期にしゅん工した板橋清掃工場と同様です。煙突の高さは100メートル、処理能力は300トン/日×2炉の600トン/日でした。
平成14年12月から適用されたダイオキシン類対策特別措置法の排出基準に対応するため、平成11年3月に操業停止しました。

多摩川清掃工場(3代目)

平成15年6月にしゅん工した多摩川清掃工場(3代目)

現在の3代目は、平成12年3月に工事着工し、平成15年6月にしゅん工しました。
この工事は建替えではなく、既存の工場建屋をできるだけ活用し、プラントのみを更新する「プラント更新」の方式を採用しました。また、灰溶融施設を併設する工事も同時に行いました。煙突の高さは約100メートル、焼却能力は150トン/日×2炉の300トン/日、灰溶融能力は30トン/日×1炉です。

初代及び2代目の参考文献及び写真:「東京都清掃事業百年史」より

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